岩戸橋

「岩戸林道」(通称「岩松林道」)にかかる橋。周辺の景観に配慮して京都府が昭和27年11月に整備したものです。

元伊勢内宮皇大神社参道と麻呂子杉

表参道は300m、220段に及ぶ自然石の石段が続いています。左右は深い神秘な森と天を摩する大木。大江山の三つの鬼退治伝説の中の一つにある聖徳太子の弟の麻呂子親王が鬼退治の途中で戦勝祈願に立ち寄って植えたとされる麻呂子親王お手植えの杉です。3本のお手植え杉のうち2本は、近年落雷や風害で倒れ切り株のみとなっています。

元伊勢内宮 皇大神社|公式サイト (motoise-naiku.com)

元伊勢内宮皇大神社

伊勢神宮の元宮だったといわれ、第10代崇神天皇の39年大和笠縫邑から天照大神の御神体を4年間お祀りした但波吉佐宮の旧跡といわれています。シイ林を中心とした常緑広葉樹林の自然林の中に茅葺・神明造りの本殿が鎮座しています。本殿を中心に、樹齢2000年と伝えられる御神木「龍灯の杉」や八十余の小宮が前後左右に囲んでいます。本殿前の「黒木の鳥居」は、樹皮のついたままの原初的な様式です。
10世紀に編集された和名抄には当地域(旧河守上村)一帯は「神戸郷」とされています。神戸とは、古代、世襲的に特定の神社に所属し、神社への貢納と奉仕を任務にしていた家のことです。

日室ヶ嶽(岩戸山)遥拝所

日室ヶ嶽(岩戸山)は、古来より神体山として尊崇されてきました。内宮の境内から天岩戸神社へ向かう参道の途中の日室ヶ嶽遥拝所は夏至の日に伊勢神宮から昇った太陽が日室ヶ嶽の山頂に沈む光景が見られる神秘的な場所で、遥拝所から日室ヶ嶽に拝礼すれば、必ず自分の望みが叶うという「一願成就」の慣習が語り継がれています。日室ヶ嶽の頂上には磐座(神が鎮座するところ)と考えられる巨岩があり、また遙拝所から拝める山の西側は禁足の地で原生林となっており、京都府歴史的自然環境保全地域にも指定されています。

天岩戸神社

日室ヶ嶽(岩戸山)の下を流れる五十鈴川渓谷に祀られています。神々が座したと伝わる「御座石」や「神楽岩」など巨岩・奇岩が点在し、一帯は四季折々の自然の美しさもさることながら心洗われる「聖域」といった神秘的な雰囲気をかもしだしています。岸壁にある本殿には鎖を伝って登ります。
その少し下流にある岩のくぼみは、産釜・産ダライといわれ、常に清水が満ち四季を通じて水量が変わらず、神が禊をされたところと伝えられます。大本の出口ナオ、王仁三郎はこの産釜・産だらいの岩穴の霊水を御神水として汲み取られました。

猿田彦神社

御祭神猿田彦大神は、天孫降臨のとき、天孫ニニギノミコトのご降臨に際し、一行を先導して日向に導かれた高鼻赤面の神としてよく知られています。このみちひらきの故事にちなんで開運招福の神として、また街路を守り災害を防止する交通安全の神として崇敬され、地元では「立会さん」と呼んで崇めています。

丹後和紙と和紙伝承館

この地方は江戸時代の末期には二百戸ほどの手漉き和紙の家があり、和紙生産の一大拠点となっていましたが、現在ではこの丹後和紙一軒になってしまいました。
ここ丹後和紙は漆を漉くことのできる極薄の和紙を手漉きで漉く技術を五代にわたって伝えている全国でも数少ない店です。隣接するのが和紙伝承館は、この伝統工芸を広く紹介するとともに、和紙の手漉きを体験もできます。

元伊勢外宮豊受大神社

伊勢外宮の元となった神社です。祀られているのは「豊受大神」で、元々丹後地方へ天下った神様とされています。雄略天皇の22年、天皇の夢枕に天照大神が現れて、「但波にいたころが懐かしい。豊受大神に会いたい。」と言われたので、現在地に移されたとされています。9月第一日曜日の八朔祭礼では奴道中が繰り広げられ、大鳥毛が宙に舞います。