鬼瓦公園

 屋根の上にあってその家の守り神とされている鬼瓦。大江駅前で電車を降りるとその招福除災の鬼瓦の出迎えを受けます。この鬼瓦公園は、全国の鬼瓦制作者・鬼師の方々の協力の基にそのネットワークによって創り上げた手造りの公園。鬼の回廊には、全国各地の全国各地の著名な古鬼瓦や現代の名工による鬼瓦が設置・展示されています。

戦友歌碑

 「ここはお国を何百里~」と愛唱された軍歌「戦友」の作者真下飛泉は大江山の出身です。時は明治37年京都師範付属小学校の教師であった真下飛泉は日露戦争に翻弄される当時の庶民の姿を一遍の詞に表し、文化祭で発表したのでした。それがこの戦友の序論となる出征です。この一連の歌は出征や戦友を含め、全12編からなり、主人公の武雄が戦後事業界や政界に進出して活躍するまでを描いています。なお、本人自身も京都市議会議員になるなど、自分の人生を予告しているような内容となっています。この石碑は飛泉の遺徳を忍ぶために有志によって建てたものです。大江駅の二階には真下飛泉の資料室があります。

室尾谷山観音寺と鬼ヶ城

 この寺が開かれたのは古く、和銅7年というから今から1400年ほどの昔、名僧行基が大和室尾寺の観音彫刻の余木を使い、本尊を設けたのが始まりと言われています。
 かつては広大な寺領に11坊を連ねる名利で、本尊の二11面観音菩薩像は秘仏として33年毎に開扉されます。また山門の仁王像も古く鎌倉末期の作と言われています。
 この裏山に連なる鬼ケ城山は茨木童子の伝説を伝えていますが、今でも戦国時代のものと思われる山城の跡が残っています。この鬼ケ城山を中心として周辺には数々の古い鉱山跡があり、かつては金・銀・銅・鉄などを採掘していたことが分かっています。このお寺もその鉱山開発との関係をうかがわせる考え方も出てきそうです。

大雲記念館

明治42年に建築された「旧平野家住宅」を再生し他物で、伝統的な和風建築様式を基本にしながら、一部に西洋建築であるキングポストトラス(洋小屋)方式を採用した近代和風建築の先駆けとなる建物であり、京都府有形文化財に指定されています。

才ノ神の藤

 元伊勢と同じように古い歴史を誇るのがこの才ノ神の藤。樹齢2000年と伝わる朽ちかけた欅の古木に絡まりついた藤で、推定樹齢は1200年とも言われています。京都府の天然記念物にも指定されています。場所は大江町の南部、南有路地区で綾部市に接するあたりにあります。この才ノ神は古代この他を訪れた日子坐王(ヒコイマスノキミ)が蟻の行列を発見し、近くに人里があるに違いないと家来を探索に遣わしたところ、近くで古老が岩を拝んでいるのを見つけ、聞いたところ『才ノ神』とのこと、その報告を聞いた日子坐王が恐れ多いと駆け寄って丁寧に拝んだとされ、それ以降この他を蟻道(アリミチ)と言うようになったという言い伝えを残しています。

夫婦滝

源氏の落人が開いた村と伝えられる小原田のほぼ中央にある夫婦滝。滝の右に役小角(えんのおづぬ)の古い石像がまつられています。修験者の行場だったと思われます。

一宮神社~五宮神社

「鬼崇神天皇のとき、四道将軍として派遣された丹波道主命には五子があり、この五子を近辺に斎きまつったのが一宮から五宮である」と由緒に記されています。丹波道主命というのは、「丹後風土記残缼」にある、土蜘蛛を退治したとされる日子坐王の子にあたります。長く丹波にいてこの地方を支配した人物とされ、特定の人物ではなく、何代にもわたる丹波の支配者を総称したのではないかとも考えられます。記紀によれば丹波道主命には「ヒバス媛」「ヌバタニイリ媛」「マトノ媛」「アザミニイル媛」「タカノ媛」の五人の媛がありいずれも垂仁天皇に召されて妃となっています。